と言っても。
ニコ・ロビンの言う「オハラ」の事ではありません(笑)
広島県竹原市大久野島。
竹原市忠海町から沖合い3kmに位置し、周囲は4.3kmの小さな島。
現在は「国民休暇村・大久野島」が有り。
のどかな保養の島になっています。
が、この島には暗い過去が・・・。
11月26日。その大久野島へお出かけしました。
朝8時半。
家族で車で出発。
しまなみ海道で大三島ICへ。
そこから北へ走り、盛港。
車を港に残し、フェリー

に乗船。

長男坊みっきー、フェリー先頭客室で、かぶりつき(w
13分後、大久野島着。
島に足を踏み入れると。
そこかしこから、ピョンピョン跳ねる動物が。
ウサギです。
そう、この島には約300羽のウサギが住み着いています。
・・・あ、こんな「ウサギちゃん


」は残念ながら居ません(爆)
何故こんなにウサギが居るのか?

「大久野島毒ガス資料館」
この島は、旧大戦中に毒ガスが製造されていた工場が存在していました。
当時、ジュネーブ議定書で「化学兵器の戦争での使用禁止」が定められており。
此処で化学兵器を生産している事を知られるのは、問題が有ったわけ。
(他国からの攻撃対象に成り得ますのでね)
当時の軍が発行している地図には。
大久野島は「消されて」いたのです。
なので「地図から消えた島」。
(資料館には当時の「大久野島が載っていない地図」も展示あり)
ここで働いていた6000名もの人は。
製造ラインから漏れたガスで身体を蝕まれ。
多くの人が後遺症に苦しみ、犠牲になったそうです。

当時の毒ガス生産ラインの容器。磁器製です。

毒ガス貯蔵庫跡。

発電所跡。
このように、遺構が残っており。
当時の悲惨さを感じる事が出来ます。
で、ウサギ
当時の研究機関では、ウサギによる実験が主で。
そのために、この島では沢山のウサギが飼われていたそうです。
今居るウサギ達は。
その当時の「直系」ではないようですが。
当時の事を忘れない為に1971年に放たれた8匹のウサギ達の子孫だそうです。
これがねぇ・・・カワイイのよ

「
なんか、くれるのか?」

「
これ、たべていいのか?」

「
もうないの?」
ベストショット


を狙う奥さん(笑)
戦争の悲惨さを体感しましたが。
同時に癒しも頂きました。
さ、頑張るべぇ。