金地院崇伝(こんちいんすうでん)1569~1633年2月8日
安土桃山時代の人物。
名門・一色家に生まれる。
南禅寺などの住職を歴任後、1608年に徳川家康に招かれ、幕政に参加。
武家諸法度などの法令制定を担当する。
豊臣秀頼・淀君が方広寺に奉納した鐘の銘
「国家安康」「君臣豊楽」
の文が「家康を切り、豊臣家の繁栄を祈念したもの」と難癖を付けた。
いわゆる「方広寺鐘銘事件」で、「大阪の陣」の口実を作った。
後に南光坊天海(この人の正体は明智光秀との説あり)と共に幕府の裏で
暗躍し「黒衣の宰相」と呼ばれた。
今日も早出。
朝から
「うーん、伸びてきた髪の毛が邪魔だなぁ」
「帰宅したら奥さんにお金貰って散髪

行こう」
と思いつつ、昼からまた忙しく、あっという間に定時に。